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読書備忘録#14_子どもが幸せになることば

読書備忘録#14_子どもが幸せになることば
田中茂樹さん

【読もうと思った動機】
なんだったか・・いつも見ているwebサイトでみつけたのかな。親として願うのは子供の幸せ。幸せって、人によって定義や思いが大きく異なる言葉のひとつだと思う。だがそれでも、子どもには幸せになってほしい。でも、振り返った時に子どもの幸せを願っているだけで、特になにもしていないような・・・?思いは見えないけれど、思いやりは見える。願っているだけでは伝わらないと思い、この本を読もうと思いました。

【概要】
医師であり臨床心理士、さらに4人の子どもをもち地域の子どもの活動にも参加している、理論と行動がとてつもない人の著書。章で、年代別に分かれてはいるものの、特に大きな制約があるわけではなく、どの内容も示唆に富んでいる。内容に入っていきやすいように、親が言いがちな言葉を、信じる言葉に言い換えた内容を扉絵に持ってきている。
言いがちな言葉は子どものためを思っていってしまいがちだけど、実は親が目先の安心を得ようとしていて子どもの元気を奪う言葉。信じる言葉は、子どもの元気を引き出し、親自身の気持ちもぐっとラクになることば。そして、こどもの幸せな自立につながることばでもある。
この本でいいたいことはふたつあり、ひとつは子どもに元気でいてもらうために、親としてどう接するのがいいのか、ということ。これは、子どもはもともと元気な存在で、元気であれば幸せになるためにどうしたらいいかを自分で探し始める生き物の強さがあるから。もうひとつは、育児はそれ自体が目的で手段ではないということ。子どもと過ごすこと自体がとても贅沢で幸せなことだということ。
コラムもおもしろかった。


■1章 0-3歳 子どもが世界と出会う時期
・予防接種の注射を怖がっているとき・・・
言いがちなことば:泣かずにがんばろうね
信じることば   :痛かったね。よくがんばったね。
4歳の子どもの話。耳鼻科で今までは泣いていたけど、ある日から進んで診察を受ける。親は、あの子も診察で泣くのは不本意だと思っていたんです。他の子と同じように泣かないようにやり通したいと思っていたと気づいた。そしてこの日、立派にやり通した。出来事としては普通の成長のワンステップ。泣くのはおかしい、かっこ悪いと子どももわかっている。
子どもをいかによく成長させるかとか、そのために親はどうしなければいけないか?など、そういう姿勢ではなくて、子どもに起こる成長や子どもが自分で達成していくことを楽しみに待つという姿勢が意識できれば、育児の機関のしんどさを減らすだけでなく、喜びを増やせる。そして、将来のいろいろの場面で「この子はなんとかするだろう」という気持ちを持つことできる下地が親に作られてくる。

・歯磨きをしないとき・・・
言いがちなことば:歯を磨かないと虫歯になるよ
信じることば   :困ったもんだ!
3歳の息子と、歯磨きをするかしないかでバトルしていた。それは、ポスターの「子どもの虫歯は親の責任です」と書かれていたから。最初はご褒美などで釣っていたが、そのうち泣き叫ぶ子どもをむりやり押さえつけて磨いている状態。別のケースで、保育園で他の子をたたいたりものをぶつけたりする問題行動の相談で、毎晩押さえつけて歯磨きすることをやめると、その問題行動がやがておさまってきた。問題行動は、押さえつけて歯磨きをされたことのSOSだったのではないか。
嫌がる子どもを押さえつけてまでやらねばならないほど、それほど絶対必要なことなのか。利益衡量つまり、メリットデメリットはどちらがどれくらい多いのかを考えるべき。予防接種はおさえつけてでもすべき。では歯磨きは?それを冷静に考える余裕が子育てを楽しくすると思う。
上手にしっかり育てないと・・・と追いつめられると、たかが歯磨きでも焦って、悩んで親も子も苦しむことになりかねない。歯を磨かない子どもが問題なのではなくて、歯磨きくらいどーってことないよね、と思えない自分の余裕のなさ、の方に意識を向けてみると、景色が変わるよ、という話。

・子どもが急かしてくるとき・・・
言いがちなことば:待っててって言ってるでしょ!
信じることば   :ほんとに楽しみだね!
プールでの話。子どもを連れてのプールは大変。5歳と2歳くらいの男の子を父親が水着に着替えさせていた。2歳の子を先に着替えさせて、次に5歳の子を着替えさせた。しかし、サイズが合わないのか気に入らなくて、せっかく来た水着を脱いでしまった。父親はイライラして叱りながら、もう一度着させるが、今度はねじれたりしてこれまたうまく着せれなくだいぶてこずっていた。5歳の子はもう泣きそうな状況だった。そんな中、2歳の子は更衣室からつながる出口の方に少し近づいて立っていて、プールの方から聞こえてくる音や人の声を聞いているようだった。やがて、下の子が取り込んでいる父と兄のもとにやってきた。そして、「パパ!」と声をかけた。父は、上の子の水着のパンツのひもがどうも中に入ってしまったようで、かなり苦戦している最中。下の子の方をちょっと怖い顔で振り返り、「まっ」と言いかけたその一瞬早く、下の子が大きな声で言ったのです。
「パパ!たのちみだねぇ!プール!たのちみだねぇ!」
これ以上ないというような笑顔、そしてかわいいかわいい声。本当に楽しみで仕方がないというような気持がそのまま表れていて、父親の怒りも叱られて拗ねていた兄の泣き顔もつられて一瞬で笑顔になった。子どもの感情の動きは、素直で、大人よりも振れが大きい。その表現の仕方も無邪気で、無警戒。
私たちは、「たのちみだねぇ!」という体験をしてもらうため、子どもに笑ってもらうために、疲れてもしんどくても出かけていく。

・食べ物をこぼしてしまったとき・・・
言いがちなことば:だからこぼすって言ったでしょ!
信じることば   :大丈夫だよ。拭いておくね
子どもが欲しいと思ったときに手を伸ばすとき、その途中に他のものがあるということが手の動きに組み込まれていない。こぼれやすい位置にものがあるとこぼしやすいという「身体の知識」がまだない。わざとやらないとか、不注意なのではなく、できない。そのような未熟さを叱ることは、役に立たないどころか子どもの自尊心を貶める。叱っても利益はない。子どもは叱られなくても褒められなくても、ちゃんとできるようになりたいと思っている生き物。育ちそこなったじそんしにゃ積極性を回復するのはとても大変。食べることが好きでなくなったら、この先の人生における喜びを大きく奪うことになりかねない。自尊心や積極性を回復するためにかかる費用は、こぼれた味噌汁を片付けるのにかかる費用や労力とはケタ違い。
子どもは押さなくても親が愛情を示してくれたことを必ず覚えている。それば漠然とした記憶で、夜の寝室の後継、肌寒さやオシッコのついた衣服やシーツの感覚やにおい。それに伴った気分や感情、親が世話してくれた時の態度や言葉がけ。その安堵感。
愛情を注いでおくことは、将来子どもが幸せになることへのこれ以上ないぐらいに有効な投資だと思って、シーツを洗おう。

・買い物でダダをこねているとき・・・
言いがちなことば:(こんなわがままを許していいのだろうか・・・)
信じることば   :(思い通りにならなくて泣くのも、いまだけだよな)
スーパーのレジで、2歳くらいの男の子が、レジでテープを貼ってもらい受け取ったけど、泣き出した。「自分で!」どうやら、自分でレジのお姉さんに手渡しをしたかったみたい。なだめてもしばらく男の子の「自分で!」は収まらなかった。私たちは子供のころの気分やあのとき世界がどう見えていたかを、忘れてしまっていることが多い。なので、何でそんなことでそこまで泣くのか怒るのか、と大人になった私たちは思う。親から見れば理不尽な要求であっても、子どもにはまだ、社会のこの世の理屈はわからない。わざと親を困らせようとしてわがままを言っているのではなくて、世界が現実が自分の思い通りにならないつらさを、ひとつひとつ学んでいる途中なのだ。成長における、ひとつの大事なステップなのだ。
泣き叫んでいる子どもと向き合って自分が怒りでいっぱいになっていると、なかなか切り替えられない。そんなとき、大人は頑張れば気持ちを切り替えられる。でも、それは子どもにはできないこと。
成長には個人差があるのが普通。つらかったね、残念だったね、と共感しながら、自分の気持ちを落ち着かせて子供と向き合う。
子育て中のこのような時期は一瞬で過ぎ去る。子どもが「現実の厳しさ」を感じて泣き叫んでいるときは、愛情を注ぐチャンスだと思ってつらい場面を幸せな状況に切り替えよう。

・子育て本を読むべきか?
どう育てることが子供の幸せのために良いかを全般にわたって「科学的に」検討することは不可能。それよりも、どうやって子どもを笑わせようか、どうやって喜ばせようかとそれだけを考えてのんきに育児を楽しんでもいい。その方が、子どもは幸せになるし、親も育児の時間が楽しくなる。

1章まとめ
親として命にかかわるようなことはしっかりとしつつも、それ以外は子どもと一緒に楽しむことが大事だと言っている。私は、接し方で気を付けているのは、私は親で相手は子どもなのだけど、ひとりの人間として接するようにしている。だから共感して心に寄り添うようにしているし、相手の意見も尊重する。無邪気で無警戒な子どもに対して、真摯に向き合っていきたい。

 

■2章 3-5歳 「その子らしさ」が出てくる時期
・野菜を食べられないとき・・・
言いがちなことば:野菜も食べようね。健康にいいんだよ
信じることば   :ふーん、野菜が苦手なんだね
苦手な食べ物を子どもに食べさせるのは、メリットよりもデメリットの方が大きい。子どもが自分で食べてみようと思うまで、待った方がいい。食事は、栄養を取るだけでなく、家族や仲間と心触れ合う機会でもあり、そういうことも含めて生きていく力の源で人生においてとても重要な要素。
野菜嫌いのA君。ベロに3回しか触らないようにしてがんばった。デザートがパイナップルだったから。そんな姿を想像した父親は、A君を愛おしく感じた。デザートの前におかずを残さず食べないとダメ。そういうルールに向き合い、自分なりの覚悟や決意をもってその現実に立ち向かっていることを、とても頼もしく思った。そして、「学校で食べれるなら、家でもたべれるやろ」などと彼を追い込むようなことはするまいと父親は思ったそう。それは違う気がすると。そうではなくて、学校で頑張っているのだから家ではラクに食事をさせてあげたい。家での食事は、心の栄養を蓄える時間にしようと。
いやぁ。。。いい話だ。父親は、子どもに寄り添い、何が大切なのかよく考えていると思う。

・弟や妹ができてわがままが増えたとき・・・
言いがちなことば:赤ちゃん泣いているから、ちょっとまって
信じることば   :あなたが生まれてお母さんもお父さんもすごく幸せだった
赤ちゃん返りは子どもの健全なSOS。甘えは親に対する信頼や期待と同じ。自分はこの世で生きていっていいんだ、この世界は安全なところなんだという確信を得るための大切なプロセス。なんでも思い通りにしたい。そしてそれをお母さんがもたらしてくれるという感覚を確認している。赤ちゃん返りをした子どもは、赤ん坊のように大事にされたり思い通りにならずに泣き叫んだりかんしゃくを起こしても、見捨てられることがないことを体験することで、そのままのあなたでいいという確信を得ていく。

・こぼさずになんとか食べられたとき・・・
言いがちなことば:えらいね!
信じることば   :おいしかった?
褒めるとアドバイスは似ている。褒めるとは、評価すること。それはいいねという風に。それはいいねは、それじゃないのはよくないよというのとある意味同じ。問題点は、本当に自分がしたいことと、親に褒められるからすることが境目が曖昧になること。お約束もそう。お片付けするって約束したでしょ!これ、決めているのは親。お約束は命令。子どもはわざわざ褒められなくても、自分が達成したことに満足かどうかは、自分で味わっている。
三男の3歳ころのカレーの話。最後に皿の隅っこに小さくご飯が残っていた。そのままスプーンですくえば、確実に皿からこぼれるだろうという状況。「まぁ、こぼれるだろうな」と思いながら見ていたら、子どもはなんと犬みたいにガブリと口を近づけて食べて、こぼさなかったのです。それを見て上の兄が思わす「えらいな。こぼさないで食べたね!」と言ったのです。そしたら三男は「褒めなくていいの!」と怒って言い返した。きっと、三男は不本意だった。父や兄はこんな食べ方をしていないじゃないか、自分は仕方なくやったのだ、と。「上から目線になっていないか」を意識しておくことは大事。対等だからね。親に対して、「いい意味で」対等に話せれば仲間や先生にも話しやすい子になるでしょう。

・指しゃぶりしたり爪をかんだりしているとき・・・
言いがちなことば:もう小学生になるのだからやめなさい!
信じることば   :小学校、楽しいといいね
4月に小学校入学を控えたBくんがここ1か月ほど指しゃぶりをするようになった。注意するとかえってよくないと見守っていたが、なかなか治らない。手をつなぐとか工夫をしたりしていた。Bくんは、小学生になることへの不安を指をしゃぶるという方法で乗り切ろうとしているのだろうと考えた。親から注意されなくても、幼稚園の先生や友達の話から、Bくんは十分すぎるほど、新しい生活への覚悟を決めなければと感じている。その後、Bくんの「問題」は解決しました。Bくんが指しゃぶりをやめられたからではなく、両親がBくんを受け入れられるようになったことによるようだった。
駒米先生はいつも、「症状はその人にとって大切なものです。簡単にとってしまってよいはずがありません」と言っていた。目に見える「子どもの問題」を、すぐに取り去らないといけないやっかいなものと思わないこと。代わりに、この「問題」はこの子が一所懸命あみだした大切な対処法なのかもしれないと思って向き合うこと。「この行動は、この子にとって何か意味があるのかもしれない」といつも心のどこかで思っておいた方がいいと言いたい。それは、子どもの大切なSOSかもしれないから。

・小さなころから英語を学ばせるべきか?(コラム)
言語研究者は、反対していた。言語の基礎は根幹は日本語でも英語でも共通の部分が多いから。まずは母国語をしっかりと身に着けることで「言語の力」を育てる。それがあればその後にほかの言語でもしっかりと学んでいけるということを、脳の仕組みや認知心理学の知見から確信していたため。

2章まとめ
子どもと対等に接する。この世に生まれてきてよかったんだ、生きていていいんだと思えるように、真摯に向き合うこと。子どもは何からの形で表現をしている。それが爪を噛むことだったりする。そういうSOSなり、うれしさだったりの表現を、きちんと受け止めていきたい。「だっこ」って言われたら、え~っていうの、やめよう。一年後には言ってこないぞ。


■3章 6~8歳 学校生活が始まる時期
・好きな番組が始まる前からテレビの前で待っているとき・・・
言いがちなことば:テレビをそんなに真剣に見なくていいの!
信じることば   :たいした集中力だな!お茶、置いとくよ
集中力というのは、まず自分の興味があることや、好きなものに対して向き合うことで成長していくもの。まずは好きになり、他の事に気を取られず、だんだんと長い時間しっかり取り組めるようになっていく。粘り強さや集中力や自信などは流用されていく汎用性のあるもの。子どもが大好きになって、真剣にそれに向き合っている。そのときに、子どもは楽しむ力を育てている。自分を幸せにする力を育てている。何かを好きになる力が育っている。集中力や持久力が鍛えられている。

・もう学校には行かない!と言ったとき・・・
言いがちなことば:そんなことを言わないの!
信じることば   :それぐらい嫌だったんだね
学校に行き渋りののある小1の男の子。何とかなだめたりしかったりしながらなんとか登校させている状況だった。このとき、親子ともにいったん落ち着くことを提案する。指示や命令の言葉をできるだけ使わない。「もう無理に行かせようとしない」とハッキリと子どもに伝えることをすすめる。そうすると、その子は母親が起こさなくても起きてくるようになった。ただ、「学校にはいかなくていいんだよね?」とその子が何度も尋ねるので、そのたびに母親は「行かなくていいよ」と答えていた。そのうち、「先生に言っといて。僕は2年生になっても学校行かないって。もう一生学校に行かないって言っといて。僕は絶対に学校に行かないから、来るかどうかも聞かないでくださいって言っといて!」久しぶりに聞くような大きな声でしっかりと、そういったそう。大人の言う一生と子どもの言う一生は異なるが、「一生行きたくないくらい嫌な気持ちだったし、今もそんな気持ちだ」ということ。うじうじしているよりも、「学校なんか一生行くか!」といえる方が、元気は出てきている。元気になれば、どうしたらいいのかを考えて、自分から動き始める。
原因が何であれ、親にできることは家で安心して過ごさせること。正直な気持ちを親に話せることや、安心できる場所でリラックスして過ごすことで、子どもは元気を回復します。何とかして再登校させようとするのではなく、ただやさしく接する。子どもが動き始めるのを「楽しみに待つ」向き合い方もある。

・いっしょにスポーツをやろうと誘ってくれたとき・・・
言いがちなことば:やるからにはきちんとできるようになろう
信じることば   :これ、なかなかたのしいなぁ
子どもとキャッチボールをしたときに、悪い意味で「教育的」であろうとして失敗したケース。何よりもまずは、好きになること。そこに目標を置く。子どもがいま目の前の新しい体験にどう向き合っているか、どう感じているか。それを親も一緒に感じてみる。下手なままでいさせてあげるという選択肢がある。子どもが自分で試みて失敗し、そして自分で立ち直っていく体験を、奪わないようにする。自分で上手になっていくことの邪魔をしない。できることがだんだんと増えていく子を見守る体験を、親はしていくべき。子どもの持つ成長する力、自分でできるようになる力を見せてもらうことで、親もまた、子どもを信じる意味を学んでいくことになる。

・子どもに自信をつけさせたいとき・・・
言いがちなことば:そんなすごいことができて、すばらしい
信じることば   :いまのままで、すばらしい
子どもは、それぞれがしっかりと自信を持っている。そこに、大人から見て確かな根拠(証拠、事実)の有無は関係ない。根拠のある自信と根拠のない自信、明らかに根拠のない自信の方が強力。なんかうまくいく、という感覚。根拠のない楽観性は、子どもが大人になった時にうつや自殺からも守ってくれる、とても大切なこと。そのままの子どもを受け入れるというある意味で簡単だけど実は勇気と根気のいる向き合い方が決め手になると感じている。

・親から見て間違ったことを主張してきたとき・・・
言いがちなことば:いやそれは間違っている。理由は・・・
信じることば   :自分の意見を言えるのはいいことだ
言いたいことが言える子に共通する特徴は、親に向かってズケズケものをいうこと。(うちの子は私には言ってきている気がする・・・)。子どもが自分の思いを話したときに、まずは「話した」「意見が言えた」ということをしっかりと認めること。これは、子どもの言ったことをそのまま受け入れるとか賛同するのとは異なり、「関心を示す」ということ。思春期に親にとってとても役立つ心構えとなる。子どもだって親と同じように賢くなる。いろいろと子どもがムキになって言ってくることは、子どもにすれば幼いころから大いなる存在であった親に立ち向かうのはかなり悲壮な覚悟を伴うもの。だからこそ親は、主張の内容ではなく意見を表明した勇気を認めること。そうすることで、子どもには自己主張の力が育つ。大切なのは、正しいことを言う力ではなく、正しかろうと間違っていようと自分の思いを表明する力。親は格好の練習台。親としては、子どものためには負けるが勝ち。親への意見は勇敢さを喜ばしいこととして認めて歓迎すること。乏しい根拠などは関係がない。

・おもちゃを自分のやり方で遊ぼうとしているとき・・・
言いがちなことば:君がやったら壊しちゃうからね
信じることば   :壊れちゃったかぁ。残念だね
凧あげの話。同じ公園の子が、凧揚げを買ってもらったけど、結局やらせてもらえなかったという一連の話。凧上げは、凧を高く上げて遊ぶのが凧揚げではなく、スーパーで粘って買ってもらって、枕元に置いて明日をワクワクして待って、ビリビリ破って凧を出して、ひたすらに遊んでボロボロにする、こういった一連のすべてが「凧揚げ」ということ。そういう経験を奪ってしまうのは非常にもったいない。

3章まとめ
ちょうど下の子と同じくらいの年代。「子どもを信じる」。これに尽きる気がする。


■4章 9~12歳 思春期が始まる時期
・いつまでも宿題をやらないとき・・・
言いがちなことば:宿題終わったの?
信じることば   :いつ声を掛けたらいいのかなあ
小言を言わない接し方は子どもの自発性を育てる。夜21時になっても宿題を始めようとしない。小言を言ってしまったら、子どもが「いま、お風呂から上がってリラックスしてるときやんか。なんでこんなときに言うかなぁ!」 このようなやりとりは、それまでコミュニケーションがなかった親子の間に、コミュニケーションが生まれてきているということ。自分の言いたいことを言い返す練習ができている。母親が負の感情をできるかぎりこめないで、冷静に子どもに伝える努力をすると、いいことがある。それは、「交渉の場面でどうふるまうべきなのか」というモデルを見せられるということ。そういう親のふるまい方を知っていることで、子どもはクラスでのいじめから逃れられるかもしれない。算数ドリルを忘れた時に、「もっと早く気づけば仮に行く手配もできたのに」と思いつつも、口を出さずにいた。そしたら子どもは、自分で友達にTELして対応するなど、たくましい姿を見ることができた。こういう成長があるのがこの時期。(子供の成長に合わせて声がけのいる、いらない、があるのだと理解しました。)

・夜遅くまでテレビを見ているとき・・・
言いがちなことば:いつまでテレビ観てるの!
信じることば   :先に寝るよ、おやすみ!。
動作を指示したり確認したりする声掛けは「操作的な会話」、思いや考えを伝えあう声掛けは「交流的な会話」。子どもの問題が表面に現れる親には興津する特徴がある。それは、家庭でのコミュニケーションが操作的な会話がほとんどということ。交流的な会話を心がける(操作的な会話を控える)目的は、子どもが家でリラックスできるようにするため。大人と比べて子どもは、元気になる力、元に戻る力が強い。注意しないと決めてしまうと、親も楽。いままではどうやって注意しようか、いつ注意しようか、後何分、我慢しようかという感じで迷っていて、緊張していた。親は一切迷わなくていい。深夜0時までだろうが1時だろうがもういくらでもいいやと覚悟しているわけなので。子どもと過ごしている時間は本当に短い。それなのに、ずっと小言を言ってい過ごしているとしたらもったいないと思う。こどもに逆に注意してもらうという方法もある。面倒を見なければいけない、導かなければいけない「弱い存在」から「気の置けない頼もしい年下の仲間」へと、子どものイメージが変わっていく。このことは、信じる言葉をかけることでもたらされる、大切な果実のひとつだと感じている。

・よその子の手助けをしてお礼を言われなかったとき・・・
言いがちなことば:(この子の親、どんな教育をしてるんだろう・・・)
信じることば   :(困っている子を助けられるのは、幸せなことだ)
もやもやする気持ちがよくわかる。それは親との関係かもしれない。自分だったら子どもが世話になったらお礼をいうだろうに。そういうときは、親と子供をセットで見るのをやめてしまうこと。親のことは頭からのけてしまって、困っている子どもと自分との関係だと考える。その子と自分の二人の関係として、できる範囲でサポートしてあげたらいいのだと思う。あのとき、やさしくしてくれたなと思いだして、将来は自分の子ではない子に愛情を与えるかもしれない。

・とんでもないイタズラをしたとき・・・
言いがちなことば:「そんなことする子は、うちから出ていきなさい!」
信じることば   :「お前は私の宝物だ!」
「出ていけ」と言いわれたことは、本人も気が付かない心の底に残って子供を苦しめるかもしれない。たとえ、親の本意でないと子どもが理解していても。まず、腹が立ったら、「自分は子どものことが思い通りにならなくて腹を立てているのだ」と意識する。そして、君のことが大好きだ、君は宝物だ、ということを起こりながら言うのだ。生じた被害は、もう取り返しがつかない。であれば、その被害を少しでも取り返すためにも、自分を大事と思ってくれたというメッセージを子どもに伝えられたら家族全体の被害を少しでは取り戻せる可能性があるという意味でお得。  小言を言わないことは、目の前の子どもを受け入れる姿勢の表明でもある。会うと癒されるような人は、そのままの自分を受け入れてくれる相手。自分の親がそういう安心できる人であること、家庭が安心できる場所であることは、他のどんなことより子供を元気にすると思う。

・親が言わないと何もしないとき・・・
言いがちなことば:「どうして言われる前にできないの!」
信じることば   :「あなたがやる前に言っちゃって、ごめんね」
小言を言われないと全く何もしない小6男子。母親は、いろいろあったが1か月一切小言をいわないと決心したときに、力が抜けたというか、ぐっと表情が柔らかくなった。きっと、きちんとした親の役割を果たさないといけないとずっとがんばってきたのかなと感じた。それからは・・・「子どもが前より穏やかになった」「自分から宿題をやるようになったし、自分で起きてくるようにもなった。学校での出来事を話してくれるようにもなった。自分と同じで話が好きなんやなと気が付いた。いままでは自分が助けないんとできない子なんだと思って見ていたんです、私は息子のことをなんでも自分でできる子だと思うようになった。最初に来た時とはべつじんのような顔つきで、リラックスしていた。 親の気持ちが変わったこと、親の見ている世界が変わったことが一番大きな変化だ。また、子どもがしっかりとしていると認めるのは、母親のかかわりがいらなくなってきていることを認めてしまうことになる。それが寂しかったという想いもあるのでは。世話をできる時期なんて、振り返ればあっという間に過ぎ去りさる。「あなたといることは私の幸せだ」というメッセージを、「これでもか、これでもか」と伝え続けよう。幸せになるために、子どもにも親にも、それより大事なことなんてないと思う。

・遊園地などで大声ではしゃいでいるとき・・・
言いがちなことば:そんなに騒ぐなら二度と連れてこない!
信じることば   :今日は、いっさい小言は言わない!
遊園地に遊びに行った時の話。列に並んでいる子どもたちは、はしゃいだりして大変賑やか。これからの時間が待ち遠しくて、じっとしていられない。移動時間も待っている時間も、「遊園地に行く」という楽しみの一部なのだとよくわかる。こういう場面で必ず起こりまくっている親がいる。遊びに来ているから子どもははしゃぐ。はしゃぎに来ているわけだから。せっかく子どもを楽しませようときているのに、もったいない話。迷惑をかけたら早めに謝ってしまえばいい。いつもお出かけでイライラしていたら、小言を一切言わないと宣言する。騒ぐ子どもを叱らないといけないという強迫観念から解放されて新しい世界が開ける。もしかしたら問題は、騒ぐ子どもにあるのではなく、すぐにイライラしてしまう親の方にあるかもしれません。

・コラム 感謝を言葉にする3つのメリット
あまり一概に言えることはないが、一概に言えることがある。それは、「感謝の言葉をはっきりと伝えること」。メリットがいくつかある。
①言葉がけが上手になる。言葉のバリエーション、抑揚や間など。さらに重要なのは、それらの言葉を生み出すもとになる「自分の心の動きに敏感になること。相手がしてくれたことに気が付いた、そこで心が動く、その動きを逃さないで、深いところからぐっと水面まで引き上げて言葉にして出す。心の動きも、筋トレと同じようにトレーニングすると強くなる。
②見る目が鍛えられる。あらさがしの真逆の視点。相手が何かしてくれた時に限らず、何かいい変化があったときやときには本人が気が付いていないような行動の結果にもいいコメントをしてもらえるといわれた方はうれしい驚きを味わえる。
③そのようなコミュニケーションすべてを子どもにモデルとして示せる。子どもは親が見せてくれると学習をする。感謝の言葉を伝えるということのネイティブになる。

・学校の先生から電話がかかってきたとき・・・
言いがちなことば:もっとまじめにやりなさい!
信じることば   :先生、XXのこと大好きらしいよ
中学から、19時ころになると先生から電話がかかってくる。そういう場合、「うちの子のことで余計な手間を取らせてすみません」。と言い、伝えてくれたことに感謝する。電話のおしまいには必ず「手のかかる子ですが、先生のおかげで機嫌よく学校に通っております。いつも感謝していますと感謝の思いと伝えて、電話を切る。 ただ、このことは子どもには伝えない。それは、外の面倒を家庭に持ち込んで、子どもの、そして親の心の安らぎを破ることに、いいことは何もないから。基準もつくらない。悩むことになるので。こうすることで、家でくつろいでいる子どもや親を、無用のストレスから守ることができる。学校のことは学校で片付けてもらう。その代わり、家のことは家で片付けて外に持ち出さない。

・反抗的なことばかり言うとき・・・
言いがちなことば:それが親に向かって言う言葉か!
信じることば   :なかなか、言うじゃない
子どもからの挑発に対しての対話。やさしい安全な相手である親との子のような練習ができることは、この先の人生で、やさしくない相手と対決しなければならない場面で彼を支えることになるでしょう。そういう贈り物をするチャンス。怒鳴ったり暴力でいうことを聞かされると、子どもは今度はほかの人との関係でも暴言や暴力に屈するようになるかもしれない。もっと悪い場合は、相手、例えば結婚すればパートナーを子どもができれば子供を、暴力で抑え込もうとするかもしれない。また、助けを呼ぶことは恥ずかしいこととや卑怯なことではなく、正当で当然のことだと自然に思える子は、そうでない子よりも、危険な状況になりにくいと考えられます。子どもがSOSをしっかり出せるために、暴力的な交渉を拒絶できるようになるためにも、親として怒らずに対話することが大事。

・コラム なぜ起こるより叱る方がいいのか
怒るというのは、目の前の出来事を受け入れられない、現実を受け入れたくないという混乱。取り乱している状態。叱るは、良い意味で感情が入っていない。伝えたいことがしっかり伝わるほか、暴力を否定する姿勢を子どもに伝えることができるという点がある。 家庭の外での厳しい経験は乗り越えていかねばならないでしょうが、親まで一緒になって子供を傷つける必要はないはず。怯えて怒鳴って混乱する姿ではなく、冷静にかっこよく問題に向き合う姿を子どもに示すことができる。これは、とてもぜいたくな育児だと思っている。

4章まとめ
とにかく、愛する子どもを信じる。自分以上に信じる。尊敬する。親は鑑になる。


■5章 13歳以上 親子の別れが始まる時期   もうか。。。
親から離れたいけど、親を頼りにしている。心の拠り所でありたい。この時期に、親はどんな時も自分のことを思ってくれているという確信が欲しい。だからこそ、「あなたは私の大事な子どもだ」と愛情を伝えることができれば、心の中にずっと残って生涯、子どもを支え続けることになる。

・元気づけようと思って・・・
言いがちなことば:型にはまらず、自由に自分らしく生きてほしい
信じることば   :そのままがいい。そのままで大好きだ
良かれと思ってかけてしまっている言葉が、知らず知らずに子供に色々なことを要求してしまっているかもしれないことを、親は意識しておくことが大切。 精一杯とか、どこまでやれば精一杯なのかわからない。「お母さんのお願い事はなーに?」「あなたにこうなってほしい」というのはある意味では指示や要求ともとれるような形になっていることが少し気になる。本当に好きにするのを認めるのなら、何も言わなければいい。型にはまらず、自分に合った生き方をすることや、楽しく自分らしく自由に生きること。どれひとつとっても、決して簡単なことではない。

・服を脱ぎっぱなしにしているとき・・・
言いがちなことば:脱いだ服は洗濯機に入れてって言ってるでしょ
信じることば   :(片付けはいい運動になるなぁ!)
脱ぎ散らかし、置き散らかしをしていたら、どうするか。著者は、小言を言う方も言われる方もしんどかろうということで、この点に関s亭はあきらめて著者が片付けるようにした。片付けができる子になることよりも、とにかく家ではリラックスできることを育児の目標にしていたので苦にならなかった。著者はいつかできるようになるだろうと思って片付けていたのではない。もし、いつかできるようになるだろうと信じてやっていたら、片付けながらいつになったらできるようになるのやらと不満に思っていたことだろう。そうではなくて、たとえこの先ずっと脱ぎ散らかしていたっていくらでも片付けてやるぜという明るい楽しい気分で片付けていた。家でゆっくりリラックスして、エネルギーを蓄えて、外の厳しい社会で生き延びてもらいたい。これが著者の育児の最重要な目標。生きることを好きになる。自分を大事にできる子になる。そういう可能性だって家でのんびりできれば高くなる。片付けはできないよりできた方がいい。ただ、優先度をリラックスできるようにするということが高く設定しているということ。

・失敗してしまったとき・・・
言いがちなことば:だから言ったでしょ。言う通りにしないからだよ
信じることば   :たいへんだったね
模擬試験の会場と地図と道順の説明をしたり、アメリカへの旅行計画だったり。子どもが自分で選んで自分で楽しんだり苦労したりして、親以外の人や出来事から学んでいくことの大切さ、そのような子どもの経験へのリスペクトをしっかり持ちましょう。親からの助言は、ありがたかったですか?うっとうしかったですか?子どもが親から見れば正しくない、未熟な選択をするのを、勇気をもって見守る。親は、自分の正しさに注意が必要。正しさを押し付けることがいつも子どものためになるわけではないということに。「母親は、子どもに去られるためにそこにいなければならない」。親が手を廻したり導いたりしなくても、いやそうしない方が子どもはしっかりと自立していく。子どもはいつまでも親に頼りたいと思ってはいない。彼らなりのタイミングで、彼らなりのスタイルで、親から独立していく。だからこそ親がすべきことは、「去られるためにそこにいること」だということ。「そこにいる」というのは、子どもの選択を見守り、必要な時はいつでも安全な場所に戻れることを保障する態度。「そこにいる」ということは「何かをする」ことよりもずっと難しい。

・コラム 自傷行為を親はどう、受け止めるか。
助けてと言えない場合、子どもは別の形でSOSをだす。忘れ物をする、友達に意地悪をする、宿題をしない、朝起きない、爪噛み、チック、登校を渋る・・・そういうことを子どもは「わざと」やっているわけではない。ストレートにいまとてもつらい、苦しいということができない。それで親に時には先生や周囲の信頼できる大人に伝わるような行動が「選ばれて」発信されているのだと思っている。いわゆる自傷行為も辛抱強いこどもがなかなか出せないSOSを必死で発しているという要素があるだろう。例えば自分で髪を抜く抜毛症はよく受ける相談で、親にはショック。でもそのような子の多くは辛抱強い子であり、親に迷惑や心配をかけまいと自分でなんとかしようと頑張る子。学校で仲間外れやいじめにあっても登校を続けているケースがほとんどだった。髪を抜くという行為は、やめさせなければならない困った行動ではない。子どもが自分を守るために必死で生み出した行為であって、子どもにとって大切な行動。そこを親が理解すること、受け入れることが大切な第一歩になると考えている。もしもSOSが家出、援助交際リストカット、過剰薬物接摂取、拒食症などの形で出されたとしたら、子どもの人生や身体へのダメージも親のストレスもずっと大きくなる。抜毛を「選んでくれた」子どものやさしさ、賢さ、強さを親が受け止めるのは大事なこと。その意味では、子どもも親を信じている。自分の親ならこのメッセージを受け止めてくれるはずだ、と。

・進路に悩んで立ち止まりそうなとき・・・
言いがちなことば:あの高校に入れさえすれば・・・
信じることば   :おつかれさま。悩んでいるみたいだね
高校にさえ入れたら。留年さえしなければ。大学にさえ合格出来たら。医師にさえなれたら。とにかく今の目の前の壁を乗り越えたら、なんとかなるからと、先に進めようとする。そう思い込んでいる、いや、思い込もうとしている。自分がしたいことであればしんどくてもがんばれる。しかし、自分が何をしたいのかよくわからない状態のままではいわゆる「修羅場」と言えるような試練に出合った時、乗り越えられない可能性が高い。そのような場合には、一旦立ち止まって、自分の気持ちやその先の人生についてじっくり考えてみるという姿勢は、むしろ正しい対処法だといえるのではないか。子どもが自分から動き始めるのを待つこと、またたとえ親から見たらつまらないことであっても、そして子供もすぐに興味をなくしてしまうとしても、子ども自身の興味があることややりたいことを大切にすること。そのような接し方が、親には求められる。結局、そのような接し方によってこそ、子どもがじぶんは何をやりたいのかに気が付く可能性が高まる。そして、立ち止まったり、やり直ししたりするのに遅すぎることはないと思う。そのような多くの例は、周りにもたくさんあるはず。

・コラム 私の子育てを支えてくれた言葉
タクシー運転手のEさん。証券会社に勤めていたけど、自由が欲しくてやめた。犬を飼っていたけど、それよりも比較にならないほどかわいいと。赤ちゃんと犬を比べるのは不謹慎かもしれません。でも、そういう考えで楽しんで大事に子育てをしていたEさんの言葉は、その後自分が父親になって育児をしだしたときいろいろな場面でよみがえってきた。こうしなければ、こう育てなければ、などと不安になるたび、「田中君、何険しい顔をしてるんや。しゃべる犬やぞ。楽しまな!」というEさんの声が聞こえてきてラクになれた。Eさんのメッセージの本質は、子供と暮らすのは楽しいということ。やらなきゃいけない仕事ではなくて、それ自体が最高の体験であり、贅沢なんだ、ということを忘れたらあかんよという本質。

・ずっとスマホをみているとき・・・
言いがちなことば:スマホはしばらく没収!
信じることば   :大事なことだから、意見を聞かせてほしい
夜遅くまでスマホを触っている末っ子。学校から帰ってきてずっとスマホをのぞき込んでいる姿にイライラしていた。21時になってもスマホを触っていたらスマホを没収すると言った翌日、22時過ぎに宿題を始めた末っ子。起こってスマホを取り上げた。妻に起こって取り上げるのはよくないよと言われ、これって面接に来る親に私が指摘するのと同じ、良くない接し方だと気づいた。現実の問題に出会って失敗したり、立ち直ったりするのが人間なんだと奮い立たせて翌日、末っ子に謝った。「昨日はごめんな。『22時になってもスマホを触っていたら没収』と言ったのに、『22時を過ぎて宿題をしてたから』って没収したのは間違いだったと思う。」 妻が、「これは大事なことだから、キミの意見がききたいのよ」というと顔を上げたものの、言葉は出てこなかった。なので家事を始めてしばらくすると、近づいてきてしっかりと言った。「あのさ、没収はあかんと思う。いきなり没収するんじゃなくて口で言ってよ」なかなか堂々としていて、我が子ながらかっこよく見えた。「キミの言葉がききたかったんや、ありがとう。没収は間違えてた。ごめんな。これからは口で言うよ」というと子どもはうなずき、食卓へ戻っていった。目には涙が浮かんでいて、彼も勇気をもって話してくれたのだとわかった。自分の子どもはもう、そういう年じゃないんだということに、親はなかなか気づけない。成長という機会ということで考えても、無理に取り上げて言うことを聞かせるのではなく、次は交渉の能力を育てていく段階にきているのだと気づいた。

・サンタさんからのプレゼントをたのしみにしているとき・・・
言いがちなことば:プレゼントをあげているのはお母さんだよ
信じることば   :サンタはいる。大人になったらわかる
サンタさんの正体を「親だ」とばらしてしまうおばあちゃん。大げんかをした。言い分は、中学生にもなってまだ信じているのがおかしいんだから。私は認識を正しただけだ。ということ。フィンランド公認のサンタだけでも何十人といるのにそういうニュースについては、おばあちゃんはどう思っているのでしょうかね?という話をした。著者であれば、「サンタを信じられなくなっている不幸なおばあちゃんをどうやって救うか、子どもと計画を練るだそう。プレゼントを渡している人間そのものがサンタだというのなら、サンタは親だということになるでしょう。しかし、それだと大阪城を立てたのは豊臣秀吉ではなく大工さんだ、と言っているのと同じことだと思う。子どもを起こさないように必死であの手この手でプレゼントを置く苦労、品薄なプレゼントを涙が出るような努力で準備する苦労など、不合理な行動を世の多くの親に取らせているサンタの存在を否定することは著者にはできない。神様や政令など、見たり触れたりできない大いなる存在を感じ取ることは、子どもが生きていくうえでこのよはいいところだ、とか生きていくのは素晴らしいことだと根拠はないけど確信できるための力になるでしょう。


・コラム 深刻な相談と無責任なアドバイス
いい話だった。

5章まとめ
とにかくそのままで。そのままのキミが大事で大切であることを伝えていくことだ。子どもの方から大好きと伝えてくれるのだ。対等ならば親からだって伝える。そもそも大切なのだから、言葉にして、態度にして伝えていく。親離れの時期は子離れの時期でもあるのかな。嬉しいし悲しい。こういう感情になるんだ。初めて知った。

 

【この本を読んだ感想やまとめ】
・読み終えた時に、パラダイムシフトが起きた感覚があり、いままで子どもの行動にイライラしていたことが、全然イライラしなくなった。不思議。心構えで人間は大きく変わり、これから子どもと贅沢な時間を過ごしていけそうになった。
・今の良くない状況をどうやって目標の状態に変えていけばいいのかとか、子育てを成功させなければならないというような姿勢で子どもに向き合うのはしんどいし楽しくないと思う。育児がずっと辛抱の時間や課題をこなすような時間になってしまいかねない。それに対し、この子の今の状態が次の段階に成長するのはいつかなと、楽しみを待つような向き合い方はラク。親がイライラしているのは、子どもにはつらいこと。逆に親がいつも楽しそうにしていることは子供を安心させる。子どもをどれだけ安心させられたか。いかに楽しい気分で子どもとの時間を過ごせたか。「そのままの自分を、親は大切に思ってくれているんだ」「親は自分が生きているだけで幸せだと思ってくれているんだ」このような感覚を持てることは、子どもがこの先の幸せな人生に向けて貯金するようなもの。その貯金は「しんどいことがあっても、まあなんとかなるよな」という根拠のない楽観性となって、何度となく訪れる人生のピンチで子どもを支える宝物になる。それは、成績や学歴よりもずっと強い力。

【今後活かせること、具体的なアクション】
・成長という機会ということで考えても、無理に取り上げて言うことを聞かせるのではなく、次は交渉の能力を育てていく段階にきているのだと気づくこと。
・「いまの」「ありのままの」子どもを愛すること。こういうことがつらいことも乗り越えていける土台となる。


【気に入った文章・言葉を3つ】
・今の良くない状況をどうやって目標の状態に変えていけばいいのかとか、子育てを成功させなければならないというような姿勢で子どもに向き合うのはしんどいし楽しくないと思う。育児がずっと辛抱の時間や課題をこなすような時間になってしまいかねない。それに対し、この子の今の状態が次の段階に成長するのはいつかなと、楽しみを待つような向き合い方はラク。親がイライラしているのは、子どもにはつらいこと。逆に親がいつも楽しそうにしていることは子供を安心させる。子どもをどれだけ安心させられたか。いかに楽しい気分で子どもとの時間を過ごせたか。「そのままの自分を、親は大切に思ってくれているんだ」「親は自分が生きているだけで幸せだと思ってくれているんだ」このような感覚を持てることは、子どもがこの先の幸せな人生に向けて貯金するようなもの。その貯金は「しんどいことがあっても、まあなんとかなるよな」という根拠のない楽観性となって、何度となく訪れる人生のピンチで子どもを支える宝物になる。それは、成績や学歴よりもずっと強い力。
・表現の仕方も無邪気で、無警戒。


【こんな人に読んでほしい】
・育児は大変って思っている人
・子どもについ怒ってしまい後悔することがある人